「心理学」イコール「カウンセリング」の思い込み

朝日新聞にこんな記事が載っていた。
「心」を探る学生たち 心理学系の学科が大学で人気asahi.com:2008/09/12)

少子化で「大学冬の時代」といわれる中、心理学系の学部や学科が根強い人気を得ている。背景には、スクールカウンセラーなど心の専門家の存在が身近になったことや、自身が不登校やいじめなどに直面して「心の問題」に興味を持つ若者が増えていることがあるようだ。心理学科で学ぶ学生たちの心を探った。

なぜ心理学科が人気なのか、志望動機を記事から抜き出すと。

「助言のおかげで、初めて自分の意志が相手に伝わったと感じる体験ができた。悩んでいる子どもはたくさんいるはず。そういう子の相談相手になりたい、と思った」

 「力になりたかったけれど、そばにいることしかできなくて、自分の無力さを感じた。心理の仕事に興味を抱くきっかけになりました」と平岡さんは話す。臨床心理士を目指しているという。

「なぜ私もカレシに依存的で、いつも他人の思いを過剰に察してしまうのだろうか、という疑問がわいてきた。心について勉強したくなりました」

 4年生の蓋(きぬかさ)優子さん(22)は高校時代、部活動での人間関係のトラブルが原因で学校に行けなくなった。何もする気が起きない喪失感を抱いた。「あのときの崩れていくような自分は何だったのか、解明したいと思いました」

そういう動機の人達はもちろん実際多いのだろう。それの是非をここで問うつもりはない。でもあえてひとつ言いたいのは、「心理学」は決して「カウンセリング」つまり「臨床心理学」だけではない、ということ。実験心理学発達心理学教育心理学認知心理学、健康心理学、社会心理学等々多岐にわたっており、臨床はあくまでその一分野でしかない。この記事を書いた記者の方(「吉住琢二」さんとの署名入り)には「臨床心理学」しか見えていないように思えるし、それならそうはっきりと書いてほしい。と言うのは、そういう誤解のもとに心理学を希望してくる人達が後を絶たないように見えるからだ。

そのあたりへの配慮からか、目白大心理カウンセリング学科の沢崎教授はこう言っている。

実際には心理学に一般的な関心を抱いて入学する人など様々な志望動機の学生がいるとしたうえで、こう話す。

 「『出世など求めず人の役に立ちたい』という、ある種、優しい学生が多い。人を救うことを通じて自らの生きがいを得たい、という心理もあるだろう。自分を知ることと他人を知ることは互いにつながっており、また、その自分を理解し受け入れる作業は他人を受け入れる作業とつながり合う。カウンセラーになるにせよならないにせよ、心理学から、そうした心の関係の基本を学んでほしい」

また原宿カウンセリングセンター信田さよ子さんのこんなコメントもある。

「カウンセラーは経済的に厳しい仕事であり、共感力だけでなく社会や家族のありようを構造的に理解する知力も必要な職業だということを忘れないでほしい」

こういう意見を一応載せてはいるが、記事の全体のトーンは「心優しい、他人の役に立ちたい若者達が向かうカウンセリングという職業」というものになっていると私には感じられ、正直何とも気持ちが悪い。

他人の役に立つ仕事は心理カウンセリングだけではない。人の行動や心理を学ぶのも心理学だけではない。そして興味があるからといって、誰もができる仕事ではない。興味と能力・スキルは別問題なのだ。

大学院に入学して一番叩き込まれたのは、「心理学は科学である」ということだと感じている。もちろんここで言う「科学」は「社会科学」なのだが、そういう基盤を持っていてこそ専門家としての価値があるのだということが「カウンセラー」志望の人達に一体どこまで伝わっているのか、疑問を感じる。

「自分を知りたい」人は、援助織は「他人を援助」することが仕事であることを肝に銘じてほしいし、「他人を助けたい」人は「必ずしも助けられるわけではない」こと、「相手が自分で進むことの手助け」であること、「感謝は期待できない」ことを覚えておいてほしいと思う。そして何より、心理学を学べば学ぶほど「人の心はわからない」ということを強く実感するということも。

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