「下流社会」の次は「下流家族」?

nikkeibp.jpの連載コラム「あいはらひろゆきの家族ブランディング」の最新記事があの三浦氏との対談だった。
もともとこのコラム自体、正直薄気味悪いと思いながら読んでいた。父親達が仕事の場から家族に自分の居場所を求めて、そして家族の「ブランド力」を上げていこうとしている、という主旨で、今年になって複数創刊された父親向け家族雑誌などについて書かれていたが、何かその見方が「下流社会」著者の三浦氏に通じる薄っぺらさがあるような気がしていた。と思っていたら、なんとその張本人との対談をやっていたのだった。

ベストセラー『下流社会』著者、三浦 展氏に聞く(前編)

読後感としては、予想通りと言うか、「なんて下品な言説なんだろう」という気分だ。
お金と他人からの視線をもとにしてしか自己評価できないようにしか見えないのだ。いやもちろんそういう人達はいるだろう。しかしそれで世の中のすべてを語れるわけでもないだろうに。

こういう人達に教育論なんか語らせたくない、という発言も随所に。

家庭や子供の教育に対しても、「とにかく桜蔭、筑駒」ではなくて、「自分なりの目標を持って勉強するのはいいことだからがんばろう」という価値観で取り組むのであれば理想的。でも、父親は会社のタテ原理を家庭に持ち込む危険もある。教育に関して母親任せで母親がカリカリすれば、中和されてむしろ子供は楽になるっていう可能性もある。

なんてところを見ると、「それが今の子どもの『生きづらさ』の根源になってるんじゃなかったっけ?」と思うし、

東大の本田由紀先生も「ハイパー・メリトクラシー」と言っていますが、子供をいい学校に通わせることで、総合的な人間力を育てているという感覚が親にはあるんじゃないかな。

てなところは、本田先生そういう意味で「ハイパー・メリトクラシー」って言ってたんだっけ?と激しく疑問。

下流以前に息子をフリーターやニートにしたくない。中高生の親に聞いても、「うちの子供は大丈夫かな」って言う人は多い。やりたいこともないしって。半分冗談でも、「うちの息子は大丈夫」って言う人は意外にいないんですよね。

「やりたいこと」で追い詰めるのが出口をなくす、って基本からやり直してほしい。

じゃあそのためにどうするかってときに、ただ東大だ、慶應だって言ってもダメ。ただ「業績を上げろ」って会社で言われても自分が働く気にならないのと同じ。どんなインセンティブを与えて、何が面白いと思わせたらいいのか。自分が使われる立場で考えれば子供もそうだろうなと考える。自分だって業績だけで会社に評価されたくない。家族は数字だけで評価できないからこそ、魅力がある。そこに気づくべきかもしれない。

なんだか言ってることがよくわからない。だいたいインセンティブなんていうコントロールする発想を持ち込んでどうするんだろう。そう言いながら「家族は数字だけで評価できない」って、じゃあ「ブランディング」は何を基準にするのやら。

結局、マーケティングプランナーという「モノを買う人たちを分類して、いかに買わせるかを考える」人達が社会を語るとこうなる、というサンプルであり、それ以上でも以下でもない、そんな気がする。そこに社会科学的なまっとうな視点を求めるのは間違っているのだろう。

追記:
そう言えば三浦氏の「下流家計分析」について、こんなエントリを6月に書いていた。

「低所得、未婚、非正規雇用の人ほど、体が弱かったり、体力がなかったり、運動が苦手という人が多い」