今の就職活動は「苦労語り」が必要らしい

asahi.com掲載のAERA記事。
「苦労」語れなくて、若者のノンプア・コンプレックスの壁(AERA:2005年12月19日号)
そんなものなのかふーん、と読み進んでいき、ふと気になったのがこの部分。

 彼は、都内の実家から都内の有名私大に通う理系の学生だ。両親も堅実でこれまで、お金に深刻に困ったという経験はない。大学2年の時に、コンビニでアルバイトを始めたのも、ただ家と学校の往復だけじゃ、社会常識が身につかないという焦りみたいなものがあったからで、確かに、こんな話を「苦労」として語っても、面接で話は弾まない。
 逆に「佐渡島出身」で、家が「漁業」となれば、それだけで展開はがらっと変わるだろう。

佐渡島」を相当田舎だと思っているね、この記者さん。いくらなんでもここで例えに出すのが「佐渡島」で「漁師」ですかい。それじゃあ何かい、佐渡島では漁師の家は二親とも浪費家でお金に深刻に困っていて、自分の学費稼ぐために泣く泣くアルバイトしている学生が大勢いるとでも言いたいのかい。
・・・と本筋でないところにからむのはここまでにしておいて。(でも佐渡の人に失礼だと思う気持ちには変わりなし)
そうやって苦労なく育った人に対して、中卒の父と高卒の母を持ち、父は漁師から小売業と職を変え、お金に苦労しまくって育ったこちらの方がむしろコンプレックス感じていたものだが、時代は変わったのだろうか。そんなことないと思うが。面接官たちだって、本当に苦労した人なんて一体どのくらいいるのか疑わしく感じるし。
さらに読み進め、ここを読んで納得。

取材してみると、若者が抱える苦労は、他の人には言いづらい苦労ばかり。たとえば、いじめ、親からの暴力、うつ病の経験……。
 「人前で言える苦労は結局のところ、苦労そのものではなくて、苦労を乗り越えたという成功体験だけなんですよね。逆にうらやましいぐらいですよ」

そう、聞きたいのは結局「苦労という名の成功物語」なのだろう。物語を求めているけど、自分より幸せな物語なんて聞きたくないから必然的に「苦労談」になる。そんな苦労談をみつけるためにボラバイトって、どこか本末転倒にも感じる。もちろんボラバイトそのものを否定するつもりはないが、自分の半生を丁寧に掘り起こしていくときっと何か、ささやかだけど「乗り越えた」経験ってあると思うのだが。
何にせよ、安直に苦労談求める会社なんか入ったってろくなことない。そういう会社は入社した後同様の「根性談」で乗り切らせようとするに決まってるから。