白馬の王子様は本人も見えない才能のスカウトになんか来ない

香山リカさんの朝日新聞掲載インタビューより。

「あいまいも悪くない」 香山リカが語る仕事―1 就職でのオンリーワン幻想asahi.com:2006/08/21)

 教育の現場で、偏差値主義からもっと個性を大切にしようという方向にシフトしてきたために、成績の良しあしだけでなく本人の個性を見ていこうという流れが大きくなりました。それ自体は悪いことではないのですが、逆に言うと、個性がはっきりつかめなかったり自分らしさが確立していないと、人としては欠点があるのではないか。そういう強い不安が刷り込まれていきました。

 個性的でなくてはだめなんだ、価値がないのだと強いこだわりを持ち始めたら、非常に苦しくなってきます。就職活動がつらくなってくる人もこれが原因であることが多い。社会的に雇用の数が多かったバブル期までの状況とは違って、若い人は就職に対して慎重にならざるをえない現実もあります。

玄田さんの「ニート」などにある若年無業者へのインタビューを読むと、このあたりの焦燥感がありありと感じられる。「個性がなくてはダメ」だなんて、そりゃあつらいに決まってる。

私にとって目ウロコだったのは以下の一節。

 個性が何より重要なのだと思い込むと、それを自分で表現できなくても、外から誰かが発見してくれるに違いないという願望を抱くようになります。野心家には見られたくないから、その願望を前面には出さず、「どのような仕事でも自分に向いている職種なら何でもいいです」と言いながら、実は「君にはプロデューサーとしての才能が潜んでいる」などと言われるのを心のどこかで待っている。

 これは就職におけるシンデレラコンプレックスです(笑い)。あなたは特別、オンリーワンの存在だ、と認められることをひそかに期待してしまう。実際に何らかの仕事を始める前から、君は普通ではないよと言って欲しがるのですね。しかし冷静に考えてみれば、今まで気づかなかった際立つ個性を秘めていて、他人がそれを発見してくれて、自分に最適な仕事へ導いてくれるなんてありえません。

ここを読んで、今まですっきりしなかったことがクリアになった気がした。若年層のあのてらいのない「自分はもっといい仕事をさせてもらって当然」という意識がどこから来るのか、ずっとわからなかった。

「個性が何より重要なのだと思い込むと、それを自分で表現できなくても、外から誰かが発見してくれるに違いないという願望を抱くようになります」
「今まで気づかなかった際立つ個性を秘めていて、他人がそれを発見してくれて、自分に最適な仕事へ導いてくれる」

これなのだ。白馬の王子が「特別な」自分を見出してくれるという幻想。現実と幻想の狭間で自分の「イケてない」現状を見るのが耐えられず、「ここは自分のいる場所じゃない」と去ろうとする。

「自分でもどっちつかずのまま、時には妥協しつつ迷いながら働いてみる。それがリアルな仕事なのではないでしょうか。」という香山氏の言葉に深く納得。問題は、どうすればこの真意を渦中の若年層に伝えられるか。背中で見せるには先輩たちはあまりに孤独で多忙で、追い立てられ過ぎている。

「個性の囚人」になった彼らに、平凡に働くこと、生きることを、どうやって伝えていけばいいんだろう。すぐに答は出そうにない。