ジャーナリストの惨事ストレスについて

人間関係論(社会心理学)の授業で書いたレポートだが、あまり知られていない内容もあると思ったので、一部修正を加えて掲載。

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個人的に興味深く感じたテーマであり、今回文献を数件読み、さらに知人の関係者からのコメントを元にして、考察してみたい。
 悲惨な災害を受けた被害者だけでなく、その現場を目撃したり、現場で活動したりした人々が被るストレスは惨事ストレス(Critical Incident Stress)と呼ばれる。報道活動を行うジャーナリストも当然この対象となるが、ジャーナリスト自身にも、周囲で彼らを支える人々にも、その認識は共有されていない。これまでのジャーナリズム研究では「テロ・戦争報道」「事件・事故・災害報道」「企業・組織内の労働環境」「ジャーナリズムと倫理」の4つの領域で、惨事ストレスに関連する研究や評論はあるが、ジャーナリスト自身のストレスを主として論じたものは少ない。ジャーナリスト自身のストレスは、ジャーナリズムの倫理や職業の特殊性などの観点のために対象化されてこなかったと推測されている。
 しかし、災害に関する社会心理学の調査研究の中では被災者や被害者が受けた報道や取材攻勢の問題事例が上げられており、こうした事例は見方を変えれば惨事ストレスに対するジャーナリストの精神的防衛反応が生み出したものとも想定できる。ジャーナリストのストレスの現況を把握し、そのストレスをケアするシステムが構築されれば、ジャーナリストはゆとりを持って、被害者や被災者の立場に立った取材が可能となり、これによって適切な報道を導く組織的基盤が形成されると期待できる。
 海外では既にジャーナリストに対するケアシステムの提言がされており、報道機関においては、BBCで「TRiM」(Trauma Risk Management)システムが導入されている。
 松井らは放送文化基金の助成を受けて放送ジャーナリストのストレスについての調査研究を実施した。結果としては(1)日本では研究が少ない現状 (2)ジャーナリストのストレスは主に取材時 (3)報道自体と同僚との交流とがストレス対処に (4)上司による2種類の支援 (5)対策は必要だが、実現できないと認識 の5項目が挙げられた。

 これをジャーナリズム関係者への個人的ヒアリングと照らし合わせてみる。要約すると下記のような意見だった。

御巣鷹山の現場に登った同僚を多く知っているが、その取材がもとで退社した記者は知る範囲ではいなかった。
・話をしたくないと言っている遺族のところに押しかけて口を割らせようとする仕事などに対するストレスは大きいと思われる。
・ストレスを緩和するための工夫と考えられる行動が見受けられる(焼死体を表す隠語など現場独特の言葉、つらい作業を「ゲーム」と考える等)。
・ストレス対処のパターンとしては「食べる」「飲む」「女性に行く」「部下への暴力」「家庭での暴力」、そして最後はうつ病等の精神疾患か。
・過酷な仕事でダメになるのは「根性が無い」と言われる。そういう風土。

限られた一部の事例であるためもちろん一般化はできないが、ここで知ることができた状況は文献に書かれていたこととほぼ一致する。つまり研究報告の項目として上げられた「(2)ジャーナリストのストレスは主に取材時 「(3)報道自体と同僚との交流とがストレス対処に」そして「(5)対策は必要だが、実現できないと認識」を裏付ける発言があったと言える。
 気になったのは、ジャーナリスト自身がタフネスを強調し、まさしくジャーナリスト自身が自己のストレスを対象化して捉えにくい構造があると考えられる点だ。実際、現役新聞記者の方は「惨事ストレス」という言葉は初めて聞いたと言っていた。震災の報道を機に「惨事ストレス」に関心が高まっているとは言え、それはあくまで被災者などの被害を受けた人々に対してであり、二次受傷するジャーナリストたちについては「ジャーナリストでもあり、一人の人間でもある」という見方はまだ浸透しているとは言えない様子である。
 文献中で「現場に向かうジャーナリストに対して、ストレスに関する「取材前」の理解や、「取材中」の現場への介入、「取材後」のカウンセリングやピアサポートなど、各段階におけるケアシステムを構築することが肝要であろう」とあるが、このような意識を当事者達の自尊心を損なわないようにどのようにサポート体制を取り入れてもらうのかが大きな課題である。その際はジャーナリストの価値観に沿い、同時に社会の理解を得ながら進めることが肝要であろう。
 さらに、「家庭での暴力」という指摘があったが、ここには深刻なDVが潜んでいる可能性もある。家庭生活という切り口からの研究も今後行われると、より多面的に記者のストレスをとらえることができるのではないか。
 日本の新聞業界は販売部数減少が続き、ビジネスモデルとして広告に頼っている現状がある。またネットの普及に伴う紙面離れは加速するばかりで、非可逆的な動きとなっている。そんな中一次メディアとしての価値を維持するには記者の質が非常に重要となっていると思われる。報道の質を向上させる観点からも、取材ストレスの存在の認知向上とケアの導入は喫緊の課題であると言える。

参考リンク:
From Stigma to Support ;Fighting Stress the Royal Marines’ WayDart (Center for Journalism & Trauma | Special Reports)


参考文献:
1) 板村英典・松井豊・福岡欣治・安藤清志・井上果子・小城英子・畑中美穂 (2006) ジャーナリストの惨事ストレスに関する探索的検討 東洋大学21 世紀ヒューマン・インタラクション・リサーチ・センター研究年報, 3, 71-76.
2)板村英典・松井豊・安藤清志・井上果子・福岡欣治・小城英子・畑中美穂 (2007) ジャーナリストのストレスをめぐる研究状況−日本におけるマス・メディア論及びジャーナリスト研究を中心に− 筑波大学心理学研究, 33, 29-41.
3)福岡欣治・小城英子・畑中美穂・松井豊・安藤清志・井上果子・板村英典(2007)ジャーナリストの惨事ストレス(7)放送ジャーナリストの日常ストレスとソーシャルサポート 日本社会心理学会第48回大会 ポスター発表資料
4)松井豊・安藤清志・井上果子・福岡欣治・小城英子(2007)放送ジャーナリストの惨事ストレスケアに関する心理学的研究 財団法人放送文化基金助成・援助分(人文社会・文化)

惨事ストレスへのケア

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