2009年3月30日/大学院学位記授与式で答辞を読みました

土曜日(28日)は大学院の学位記授与式でした。大学院では「卒業式」のことをこう言うようです。授与されるのが卒業証書ではなく、「学位記」だからなのでしょう。
会場の筑波大附属小学校講堂に、筑波大東京キャンパスの社会人大学院の修了生(修士課程、博士課程)約160名が集いました。

以前にも書きましたが、実は私はここでひとつ大きな役割を持っていました。修了生代表で答辞を読むことになっていたのです。

と言っても、首席で卒業とかそういう素敵な理由ではなく、答辞は毎年各コースで輪番制になっていて、今年はたまたま私の所属するカウンセリングコースが順番に当たっており、学生で話し合って決めてほしいと言われたのです。でもなかなかうまく決まらず、クラスのとりまとめ役の一人となっていたため引き受けた、というのが実情です。

何せ答辞を読むなんて生まれて初めて。人前で話したりするのは仕事柄慣れているといっても、式典となると話は別です。とにかくシンプルにと原稿を書き、後に残ることを考えて筆耕をお願いして準備しました。当日になって式が始まっても、答辞が終わるまではまるっきり落ち着かず緊張の中にいて、そしてとうとう名前が呼ばれました。

「心をこめて真剣に」。いつもお能の発表会の前に自分に言い聞かせる言葉を再度復唱して壇上に登り、奉書を開いて読み上げます。大丈夫、とにかく落ち着いて、丁寧に。緊張で足ががたがた小刻みに震えて止まらないまま、それでも幸い順調に読み上げることができ、つかえることなく無事最後まで読み終えて奉書を副学長に渡して降壇。役目は無事果たすことができました。

和服を着ていたので、足の震えも他の人達からはまったくわからなかった様子で、とてもよかったと好評でした。謝恩会の時に、別のコースの代表の先生から「とてもわかりやすくてすごくよかったですよ」とうちの先生が言われたと聞いて、ああがんばってよかったなあと心から思いました。進み方や来賓への礼などの所作がきれいだったとか、声の響き方がよかったなど褒めていただいて、お能のお稽古のおかげだとしみじみありがたく感じました。人生どこで何が役に立つかわからないものですね。

2年間、長かったような、短かったような、いずれにしろ全力疾走の時間でした。終わってみればあっと言う間ですが、渦中の時は日々いろんなことがありました。それも過ぎてしまえばいい思い出です。

土曜日は、謝恩会も含めて、一区切りをつけてまた次へ歩みだすための盛大な「卒業」の儀式の時間でした。佐野元春じゃないですが、「終わりははじまり」。もしくは、井伏鱒二の「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」。ひとつの時代を終えて、また次へ向かって歩きだします。そのための自信をもらった2年間でした。

先生方や大学事務方の皆さま、クラスメートの仲間たちに感謝を感じるとともに、修論のアンケートにご協力いただき、二足の草鞋の日々を応援して励まし支えてくださったSNSの皆様を始めとするすべての人達に心からお礼を申しあげます。本当にありがとうございました。