社会人大学院クラスメートがガンで亡くなった

乳ガンの再々発で休学していた大学院のクラスメートが亡くなったという連絡が先日あった。

40代半ばで、昨年の夏に病気が再発して抗ガン剤治療を始めたようだが、段々と体調が悪くなっていき、今年に入ってからは学校にほとんど来れなくなって、休学というのを聞いたのが5月。あっと言う間だった。


平日の水曜の夜に先生経由で聞いた訃報で、私がクラス委員をやってる関係で先生からとりまとめを頼まれたのが21時頃。私自身は仕事の関係で参列は難しく、他の人たちに少し連絡を取ってみたら何人か参列できる人が現れて、代表でお願いすることに。他のクラス委員メンバーに弔電をお願いし、告別式の対応はどうにかできた。


ずっとお休みしているし、連絡もないのであまりいい状態ではないのだろうとは思っていたが、まさかこんなに早いとは、というのが正直な気持ちだった。
何と言えばいいのか、やりきれないと言うか。残念というか。
まだ若いのに。一緒にやってきたのに。いろんな言葉がぐるぐる回るだけで。


彼女の病気の話を直接聞いたのは昨年の秋。グループワークがメインの授業(社会調査法)で同じグループになった彼女と立ち話しながらのタイミングで。当時は病名は知らないけど、夏休みに入る前に体調を崩して検査入院していたことは聞いていた。

「治療のタイミングが大丈夫そうになったんで、この授業取れることになったんだよね」
「そうなんだ。通院は週一回とか?」
「ううん、3週間に一回。あのね、乳ガンの再々発なのね。前回の抗ガン剤はすごくきつくて一週間くらい何もできなかったんだけど、今回は薬が変わって翌日には大丈夫だから、よかったなあと思って」と淡々と。

ただ驚いた。
まさかそういう病気だったなんて。
社会人大学院に通いながらガンの治療だなんて。

「そうか、でも無理しちゃダメだよ〜」と笑いながらつっこんで、その場の会話は終わってしまった。その後は、こんな風に重い事情を抱えながら学んでいる人と自分は一緒にいるんだ。がんばらないと。そんな風に思ったりしていた。


特別親しいわけではなかったのに、いやむしろその微妙な距離感ゆえに喪失感が意外と大きくのしかかり、クラスメートも皆言葉もなく、呆然としていた。


折しも時期は修論中間発表会直前。授業もなくなっていて、クラスで集まる機会はなかなか取れそうにない。
ちょうど発表と恒例の懇親会の間に教員の会議の時間が1時間ほど入るので、その時間を使って「偲ぶ会」を行うことにした。
クラスの中に喪に関わるデフュージングやデブリーフィングをする仕事をしている人がいたので、その方に進行をお願いし、故人について知っていたこと、印象に残っていること、後悔していること、してあげたかったことなどについて語り合う。
いろんな思い出話が出てきて、もちろん私の知らないエピソードがほとんどで、「自分には時間がない」とありったけの時間を懸命に使おうとしていた彼女の姿が思い出された。
最後は「彼女のことをずっとずっと語り続けていこう」と確認して、「偲ぶ会」を終えた。告別式などの区切りの儀式に参加できなかった人間にとっては、こういう機会を持つことはとても重要だということを実感した。


一緒に過ごした時間は短かったが、働きながら学ぶという同じ志を持って一緒にがんばってきた「同志」。治療方針はすべて本人が主治医と相談して決めていて、最後は緩和ケアを本人が選択していたという。最後の時を少しでも苦しまずに迎えてくれたとしたら、残された側としてせめて救われる気がする。
今は、私たちがちゃんと修了することが何よりのお弔いになるのだろうと思っている。変に力む必要もないとは思うが、たぶんこれからも彼女は「永久欠番」的に私たちの中に存在し続けるのだろう。


彼女の冥福を祈って、合掌。