まず「自殺」防止を最優先に

いじめ報道が過熱し続ける今日この頃、マスコミ各社はこのコラムをよーく熟読してほしい。

【正論】和田秀樹 いじめ自殺防止に最重点を置けiza!:2006/11/02)

欧米では連鎖自殺を防ぐため報道ガイドラインが設けられているが、日本も見習うべきであろう。
 そうでなくても、思春期はマスメディアによる被暗示性の強い時期だ(だからこそ、前回問題にしたように病的痩身(そうしん)モデルを理想化させるのは許されない)。普通の子供にとっては、いじめ自殺報道は大した影響を及ぼさなくても、今いじめに悩んでいる子供や、自殺の危険の大きな子供への影響は計り知れない。
 最も危険なのは、大多数の子供がいじめで苦しみ、かろうじて死ぬのを思いとどまっているのに「いじめられたら自殺しても当たり前」という誤ったメッセージを与えることである。

FPNの「岡田有希子シンドロームよもう一度.」というエントリで、あの時の教訓を全く活かしていないと書かれているが、まったくその通りだと思う。
ぎりぎりの中で苦しんでいる子どもが、同年代のやはり自分と同じような境遇で苦しんでいる子どもたちが次々と数多く自殺しているように報道されるのを見て、自分もああすればいいんだと思うことをどうして非難できようか。
最低限「いじめ」と「自殺」は切り離して報道してほしい。というより、子どもの自殺より実際は中高年の自殺の方が実数ははるかに多く背景も深刻なはずなので、どうせ取り上げるならそちらにしてはどうか。

 要するにいじめをなくすことより、子供同士なのだから、ささいな仲間はずれや悪口はつきものだと考え、早い時点で教師が介入して解決していくことのほうが、様々な意味で心理発達につながるし、被害者のほうも精神的に成長できるという考え方だ。
 私はそのほうが現実的だし、大人世界に入った際に、仲間はずれや悪口を禁止する方法がないのだから、子供の将来の心理的危険の回避のために肝要だと考える。
 だとすると、学校評価もいじめがあるかないかより、いじめを解決できたかどうかのほうに重点を置くべきだろう。

これもまさしくその通りだと思う。「いじめのある学校はよくない」という価値観で進めるのではなく、集団にはどんな心理が働きがちで、そこでどうやって対処していけるのかということを教えることこそが実践的な教育ではないか。

FPN経由で読んだJ-CASTニュース記事「これでいいのか! テレビの自殺報道規定」にWHOの「群発自殺」を防ぐための報道のガイドラインの概略が紹介されている。
それによると

●写真や遺書を公表しない
●自殺の方法について詳細に報道しない
●原因を単純化して報じない
●自殺を美化したりセンセーショナルに報じない
●宗教的・文化的な固定観念を用いない
●自殺を責めない

全部日本のマスコミは逆をやっているような気がするのだが。

ついでに書くと、文部科学省に送られている「自殺予告」は、いたずらがゼロとは言い切れないが「死にたくない」という悲鳴だと個人的に思っている。「死にたくない」ことを「死にたい」としか表現できなくなっていて、誰かに自分を見てほしい、止めてほしい。甘いかもしれないが私にはそう見えてしょうがない。
こんな悲鳴を役所に送らなければいけないほど孤独なのだと思うと、ぞっとする。あなたは一人ではないのだとそばにいる誰かが、もしくはいのちの電話の向こうの人が、ネットの掲示板の向こうの人が、ほんの少しでも伝えるには一体どうすればいいのだろう。