朝日新聞書評欄でまたも「若者本」ネタ

少々古い話で恐縮だが、3月19日の「ポケットから」というテーマ別に3冊紹介する欄で、「ニートって言うな!」を含む若者本が紹介されていた。

何もかも若者たちが悪いのか 斉藤貴男さん

 「国の恥ニートをなくす政策。それはズバリ、徴兵制や」と、著名な戦場カメラマンが週刊誌で叫んでいた。学生でないが働いていない、職業訓練も受けないという意味の英単語の頭文字「NEET」の若者たちは、今や大衆の憎悪を一手に引き受ける“人民の敵”と相成った。

 その数85万人。怠け者の性根を叩き直せ式の居酒屋談議が沸騰し、裁判員制度のアンケートでは、市民の25%が、「被告が少年なら重罪に」と回答した。

 だが、少し立ち止まって考えてみよう。何もかも彼らが悪いのか?

 違う。『「ニート」って言うな!』を読むと、一般的なイメージに近い「ニート」など少数派でしかない実相がわかる。歴とした若年失業者や、定職に就きたくても就けない「フリーター」までが一括(くく)りに語られる結果、雇用情勢の悪化や階層間格差拡大などの諸問題が隠蔽され、陳腐な自己責任論や家族論に回収されてしまった点が、問題であり過ぎる。

 真っ当だった議論が歪められ、権力に絡め取られていくメカニズムの恐怖。「学校経由でない就職ルートの拡充を」等の提言にも基本的に賛成したい。

他に取り上げられているのは「ひきこもり当事者と家族の出口」(著者: 五十田 猛)と「ノモンハンの戦い」(著者: シーシキン)。
最後はこう締めくくられている。

理解できない存在を十把一絡げにして、その生殺与奪の権まで握った気でいる傲慢。酔っ払いの戯言以下の強権政治に、これ以上は騙されまい。私たちは何も知らされていないのだ、という認識から出発しよう。

多くのニート論議は「理解できない存在を十把一絡げに」しているように見えて仕方ない。スケープゴートにされたり、自分の価値を確認するために貶められたり、「ニート」は今引っ張りだこだ。