「プレイフル・ラーニング」 上田信行・中原淳 編著 三省堂

昨年12月に刊行されたこの本は、一言で言うと、「学びのデザイン研究」の歴史と現在、そして未来を、上田信行先生という超アーリーアダプターである人物を主人公として、中原淳先生が描いたもの。上田先生の存在なくしてこの書籍は存在し得ないし、同様に中原先生の労作なくして世には出なかった。

「学びのデザイン研究」とは何か。「『学びの場/学びの機会を創り出すこと』を主眼とする実践的な研究とお考えください」という中原先生の定義にしたがって、まずはそう捉えていただきたい。

本書は三章構成になっていて、第一章は「プレイフル・ラーニングの旅」これが歴史である。第二章は「プレイフル・ラーニングへようこそ 経験のREMIX unconference@neomuseum ルポ」これは2012年に実施された実験的ワークショップの記録、つまり現在、そして第三章は「プレイフル・ラーニング 旅のあとさき」と題した対談録。上田先生、中原先生に加えて、神戸大の金井壽宏先生も加えた3名による「経験のREMIX」を終えた直後のリフレクションと学びのデザインについての今後の考察がなされている。

まえがき「プレイフル・ラーニングの旅へ出かけよう」で中原先生は問題意識を次のように提示されている。ここ数十年で「学び」や「教育」の言説空間において起きた三つの大きな変化 「オルタナティブ」(既存のものとは別の)「インタラクティブ」(双方向性)「アマチュア」(教育の非専門家)がもたらした教育の非専門家による学びの場の創出。
それは「ワークショップバブル」と呼ばれるような様相を呈していると同時に、「クオリティが玉石混淆である」という憂慮すべき事態も産んでいる。(「ワークショップ疲れ」「ワークショップ中毒」といった負の側面)

ところで「ワークショップ」という言葉を上田先生が使い始めた20年前には、この言葉は「作業場」という意味しかなかった。その上田先生「プレイフル・ラーニング」(楽しさの中にある学び)という思想のもとに実践を積み重ねて磨き上げてきたのが「ワークショップ」というものであると言える。

そういうことから、中原先生は本書の目的をこのように書いている。

本書の目的は、様々なオルタナティブな学びの場づくりの実践を繰り返してきた、上田信行さんの実践の歴史、彼が影響を受けてきた理論や思想の歴史を紹介することで、クオリティの高い、革新的な「オルタナティブな学びの場」をつくりだすために必要なことを紹介することです。もちろん、オルタナティブな学びの場づくりやワークショップには、多種多様な理論的源流がありますので、ここで紹介しうるのは、あくまで上田さんの実践やプレイフル・ラーニングを裏打ちする理論群です。

 本書の趣旨をひと言で述べるならば、「オルタナティブな学びの場づくり」は、「プレイフル・ラーニングの創発する場所である必要がある」、ということであり、「プレイフル・ラーニングを生み出すためには、本書で紹介する理論・思想を押さえておく必要がある」ということです。「よい理論ほど実践的なものはない」といったのはグループダイナミクスの祖 クルト・レヴィンです。骨太の理論・思想は、素晴らしい実践を生み出す土壌です。

また、対象者としてこのような方々を想定している。

本書は、ビジネス、教育の現場などでラーニングデザインを実践している人、あるいはラーニングデザインに興味がある人を対象にしています。

 上田さんのプレイフル・ラーニングの歴史を追いつつも、ラーニング理論についての基礎も学べるようになっているので、ワークショップ等の、いわゆる「場づくりの実践」をなさっている方にはぜひ読んでいただきたい内容です。

 とかく、ワークショップに関する本は、いわゆるHow toや技法の紹介、ないしはワークショップ批評にとどまる傾向があります。それもワークショップデザインにとって必要なことではありますが、一方で忘れ去られがちなのは、その背後に横たわる理論的背景・思想的背景です。そうした内容について常に意識的である必要はないのですが、ある程度のことができるようになったあとは、ぜひ意識しておいておくとよい内容です。

表面的なノウハウだけでなく、その根底に流れる考え方=理論をまずは理解した上で、本来の「オルタナティブな学びの場」を創り出そう。そういう主旨の書籍であると言える。

第一章の「プレイフル・ラーニングの旅」。これがまず圧倒的だ。1970年代から2000年代にかけて、学びのデザインの研究がどのように変遷してきたかが、上田先生の半生にまさに重なっており、半生記であるとともに見事に教育デザイン史ともなっている。

詳細は本書に当たっていただきたいが、キーワードを挙げてざっくり要約するとこうなる。

◆1970年代:「教えることのデザイン」(効率的かつ魅力的に知識を伝達できるか)
・セサミ・ストリートとの出会い
・米国の教育格差問題 低所得者層への教育支援 視聴覚教育(テレビ)
・教授設計理論(ADDIEモデル 等)
・プロトタイプ→リバイズ

◆1980年代:「学びに没頭する環境のデザイン」(どのように知識を構築するか〜「教授」から「構成」へ)
・デバイスの変化(テレビからコンピュータ)
ピアジェ構成主義とパパートの構築主義
・動機論(「ものの見方」が「やる気」を変える キャロル・ドュエック)
・環境を変えることでポジティブな方向に変えることはできないか

◆1990年代:「他者とのつながりと空間のデザイン」
・学習における「他者」の存在意義→発達の最近接領域→憧れの最近接領域
・コミュニティの中での他者との「協調学習」
・ネオミュージアムの建設→空間デザインされた「プレイフル・ラーニング」

◆2000年代:様々な実践(境界を超えた「モード2」の科学)
・ラーニングデザイン、メディア、アート
・同業者を超えた異業種とのコラボレーション

かなり盛りだくさんの内容だが、時系列に上田先生の体験を追いながら自然と読み進められ、それぞれ年代別に中原先生の「振り返りとまとめ」が書かれているので理解しやすい。

第二章の「経験のREMIX unconference@neomuseum」は、私も参加しているイベントである。吉野の宿坊・竹林院とネオミュージアムを舞台とした、壮大なワークショップの「実験」だった。
一言で言えば、竹林院に集まった120人が小グループに分かれて「これまで」「いま」「これから」を考えるワークショップの出し物をその場で考え、翌日ネオミュージアムでそれを実践する、というもの。例えてみれば、一晩で初対面の人間をグループ分けをして文化祭の出し物を考えさせて翌日文化祭をして解散する、といったこと。

そんなこと本当にできるの?やっつけになるんじゃないの?と思われる方が多いだろう。
これができたのだ。しかも非常に満足度高く。プレイフル・ラーニングを地で行ったような一泊二日だった。

勿論そこには用意周到な「デザイン」がなされている。具体的に何が準備されていたのかは、昨年終了後に中原先生がブログでまとめられたものに尽きるかと思う。

Unconference(ユーザー参加型・学び系イベント)をデザインする際の3つのポイント(私感雑感)(nakahara-lab.net)

1.レディネスの確保
  1.1.初期期待をあげる事前課題
  1.2.ソーシャルメディアを使った事前コミュニティづくり

2.フレームワークの提示
  2.1.コンセプトとパッション
  2.2.テーマの理解を得ること
  2.3.ルール
  2.4.グルーピング
  2.5.デッドラインの明示

3.「学びの縁日」のデザイン
  3.1.同時多発性
  3.2.擬似的競争 ゲーミフィケーションの応用

これが具体的にどのように提供され、参加者は巻き込まれて行ったかは、ぜひ本書でご確認いただきたい。わざわざ冬の吉野まで出かけて行く物好きの集団とは言え、ここまでのワークショップを実現するのは生半可なことではない。周到なデザインがあってこそ、人は「自由」になれるのだということを身をもって体感した時間だった。

ひとつ付け加えると、曽和先生の「リアルタイムドキュメンテーション」あっての成功、ということ。その日に起こったことをずっと撮影し続け、それを終了直前に5分のムービーに編集して参加者全員で見直すことによるリフレクション効果の大きいこと!体験をもう一度目で取り込み直して、この二日間は決して忘れられない時間になった。

第三章は三人の先生の口調も思いだしながら読んでしまい、私は客観的な評は正直書きにくい。個人的には帯にも使われている金井先生の「僕はもうゾクゾクしましたね。10年に一度くらいのインパクト」という言葉がとても嬉しかった。(金井先生は本当に楽しそうだったのだ)
「ワークショップと日常」「学びはアウトプット」「アイスブレイクと言わずに氷を解かす」「振り切る勇気と思い切り」等々興味深い話題が次々と語られる。このように言語化されたエッセンスを少しずつ自分たちの学習デザインに取り込んでいけたらと考えている。

理論と実践を両輪として、これからも「オルタナティブ」「インタラクティブ」「アマチュア」な学びの場を提供して行ける、そんな人間になりたいと思う。

巻末で中原先生が紹介しているリルケの詩のように、もうしばらくは安易に答えを求めず、「問い」を生きていきたい。

今すぐ答えを捜さないでください。
今はあなたは問いを生きてください。

プレイフル・ラーニング

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