自らの悪意を「飼い馴らす」ことができる人、できない人

それに翻弄される人、飼い慣らす人 精神科医・斎藤学(Mainichi INTERACTIVE:2007/01/11)

「飼い馴らす」ことができる人たちというのは、「自分の限界を知っているから、自分の失敗に寛容」のだそうだ。だがしかし、そうなるには親から愛されて育つ必要があるという。何てことだろう。


まったく不条理なことだが、愛着の対象であるはずの親たちから疎まれ邪魔にされ、時には打擲や性的搾取を受けながら育つ子どもたちがいる。最近の神経生理学は、こうした子どもたちの右脳の発達が悪いことを明確にした。右脳は無意識に行なわれる対人関係的な情報処理やストレス対処能力に関与するから、その発達不全は深刻な影響を及ぼす。彼らは人生につきもののストレスへの対応がうまく行かず、「切れやすい子」や「攻撃的な人」あるいは「恐怖にとらわれやすい人」になる。恐怖を引きずる人とは、最近よく話題になる「PTSD」という心的外傷後遺症になりやすい人のことだ。前に述べた「境界性パーソナリティ障害」とは、このような環境で育ち、それによる影響を受けている人々の振るまいかたである可能性が高い。
じゃあそうじゃなかった人たちは一生そのままなのか、ということについてはこのように補足が。

 このように書くと、彼らは救いようがないと誤解されるかも知れない。そんなことはない、と断言できるのは私にはこうした人々と接し続けてきたという自負があるからだ。人というものは柔らかい粘土のように可変的なものだ。子どもたちはもちろんだが、成人の場合でも、彼らの破壊的衝動性は緩和できる。もちろん長い時間(7年ほど頂きたい)が必要だが。
別の意味でも「悪意は誰にでもある」ということは意識し続ける必要があると感じる。「家族というのは緊密な人間集団だから、互いの関係が近すぎてさまざまな問題の温床になりやすい」ということを考えると、凄惨な殺人事件も決して他人事ではないはずだから。