認知心理学から見る「属性論で語る危険性」

今日放映していた放送大学認知心理学概論」。テーマは「社会的認知」で、日本人論を題材に認知のひずみについて語られていた。
その詳細ははぶくが、要するに古くは「菊と刀」で語られた「日本人は集団主義」ということが事実で証明されたものではなく、日本人と対照的に個人主義として言われている欧米人と比較実験をすると集団主義的傾向は両者とも大差ない、ということ。

そこから、なぜ「日本人は集団主義的」という言論が事実のように信じられているかということを「認知のひずみ」から以下のように説明している。

ひとつは「対応バイアス」の存在。人の行動の原因を推測する時、外部的な状況を軽視し、内部的な特性を重視する、つまり状況を無視して特性による解釈をする傾向が強いという。
たとえば、石につまずくということがあった場合、「あの人はおっちょこちょいだから」ということの方が「石がつまずきやすい状態だったから」という理由より先に考えられやすくはないだろうか。
そしてこの対応バイアスは強固で容易には消えない。

日本人は集団主義的という説が定着したのは「菊と刀」以降であり、当時は日本人の集団主義を目の当たりにする機会が多かった。しかし、その状況を考えると、「軍国主義配下での集団主義的行動」と言え、戦後も欧米企業との競争という大きな脅威に対抗せねばならなかった。

人間には外敵の大きな脅威を感じた時は、内部の団結を強めて自己防衛を図ろうとする普遍的な傾向がある。
個人主義的であると言われているアメリカも、真珠湾攻撃のあとの日系人捕虜収容、マッカーシー赤狩り、9.11後のニュースキャスターの大統領への協力宣言等集団主義的行動は取っている。

ふたつめは「確証バイアス」。これは自分の考えにあった証拠ばかりを探そうとする傾向である。
菊と刀」の反論として和辻哲郎は「反対のデータを集められるのに、著者はその努力をしていない」と言っている。これはまさに確証バイアスが働いていると言える。

また、日本人が集団主義的であるがゆえに起こると言われている「いじめ」も、ある「いじめにあった経験の調査結果」によると日本人は38%、アメリカ人は58%が経験ありと回答しており、これは民族の問題ではない現代社会の問題としてとらえられる。

結論として、文化論や国民性論はステレオタイプや偏見につながる危険性がある。人間集団の行動を理解しようとする時、安易に「文化」や「国民性」といった内的特性に頼らず、生態学的、歴史的、社会的、経済的状況による理解の努力をする必要がある、と締めくくられている。

これは今蔓延している「若者悪者論」にも同じことが言えるのではないだろうか。若者の置かれている生態学的、歴史的、社会的、経済的状況を鑑みずに「特性」としてとらえてステレオタイプに攻撃し、データとして存在する若年凶悪犯罪率の低さ(ex.「少年による殺人統計」「第2回キレやすいのは誰だ」)などは無視した発言が続く。まさしく「対応バイアス」と「確証バイアス」の連続技だ。

ちなみに第2回キレやすいのは誰だ」にはこのようにある。

 最も少なかった平成2年と、最も多かった昭和35年では、件数の差は6.9倍にものぼります。というわけで、本日ここに戦後最もキレやすかった少年が決定致しました。グランプリは昭和35年の17歳、つまり昭和18年生まれで西暦2001年現在58歳の方々です。おめでとうございます。

 JR東日本の調べによると、平成11年度、駅員に暴力をふるって警察ざたにまでなった乗客は、50代が最も多かったそうです。こんな危険なオトナたちを野放しにしておいていいものでしょうか。少年法改正論議の前に、50代後半の心の闇をなんとかしたほうがよさそうです。

これは奇しくも以前のエントリ「放送大学で「感情的浮気と身体的浮気に対する嫉妬の男女差」について聞く」でご紹介した

カナダでの男性での殺人率は20歳〜24歳をピークに減少していくが、日本では団塊の世代の殺人率がもっとも高い

に呼応するデータであり、「若者悪者論」の前に「団塊悪者論」の方が現実の凶悪犯罪を減らすのによほど有効ではないかと真剣に思ってしまう今日この頃である。

2008/1/17追記:
H-Yamaguchi.netに、「キレやすい中年説」について小気味よく書いてくれた記事が掲載されていたのでリンク。

中高年の凶悪犯罪を俗物的世代論で語ってみるテスト(2007/05/20)

凶悪犯罪の高年齢化が止まらない、となぜ書かない(2007/11/29)