たとえ失敗しても、世界は終わらない〜論理行動療法による「思い込み」からの脱却

@IT自分戦略研究所の連載コラム「ITエンジニアにも重要な心の健康」の記事「第23回 たとえ失敗しても、世界は終わらない」より。
A・エリスの論理行動療法=ABC理論をもとに、思い込みの呪縛から解かれ心を楽にする方法が紹介されている。
ABC理論の考え方の概略は次の通り。

ABC理論では、同じA(出来事)にあっても、B(固定観念)が違えばC(悩み)は変わってくると考えます。ただし、心の中のBを変えるだけで済まそうとすると、単なるいい訳、こじつけで終わってしまいます。Bを変えた後、できることならAも変えるように工夫すること(ポイントを変更して再提出することで、採用されるようにする)も必要です。

 論理療法は、「思考、感情、行動は相互に関連しあっている」という前提に立っています。

 ある悩みを解決したいとしましょう。悩みは思考の悩み、感情の悩み、行動の悩みの3種類に分類され、3つのうちどのポイントからアプローチしても、ほかの2つに連鎖すると考えられるのです。

 論理療法の中心概念は「ビリーフの変容」です。簡単にいうと「自分を不幸にする思い込み(ビリーフ=固定観念)があるなら、それを変えてみよう」ということです。

「ドツボにはまっている」時の自分の思考パターンで、このようになっていたと思いあたる方もいらっしゃるだろう(筆者もその一人)。
自分の提案が却下された(A)→却下されたのは完璧でなかったから。自分は完璧でないと認められない(B)→完璧であると証明するため、早く挽回しないといけない(C)といったような按配である。
ビリーフに囚われているとどのようになりやすいか、掲記記事ではこのような「認知のゆがみ」が起きていると書かれている。

1.少ない証拠を基に、独断的に物事を判断してしまう。
 例:提案が却下されたのは、提案者が私だったからだ。

2.何事も白黒をはっきりさせないと気が済まない。
 例:私の提案が却下されたということは、私の提案はすべて認められないということだ。採用されたAさんの提案はすべて認められるんだ。

3.自分の関心や気になる部分だけに目を向け、結論付けてしまう。
 例:今回の提案では、表計算の数値には細心の注意を払った。そこが評価されなかったのだ。

4.自分の関心事は大きく、自分の考えに合わない部分は小さくとらえる。
 例:提案の際、データの鮮度は重要だ。作業の段取りなどは予測不可能だから考慮しなくてよい。

5.ごくわずかな事実を過度に一般化してしまう。
 例:提案を却下された決め手は、係長の意見だった。みんな係長と同じ意見に違いない。

6.何か悪いことが起こると自分のせいだと思い、自分ばかりを責めてしまう。
 例:提案が却下されたのは、私の案が悪かったからに違いない。

7.一時の自分の感情を基にして現実を判断してしまう。
 例:提案が却下されてとても不愉快だし、いらいらする。みんなが自分を嫌っているんだ。

「客観性のない自責」「過度な一般化」「視野狭窄」「極論に走りやすい」といった状況と言える。
ではそこから抜け出すためにはどのような手段が考えられるか。
思考記録表をつけてみる、という手法もあるが、この記事では筆者オリジナルの文章記述法を紹介している。具体的には下記の質問に自分で文章を記入してもらうというもの。

1.〜に越したことはない。
 Gさん:仕事で失敗しないに越したことはない。

2.〜だからといって人生が終わりというわけではない。
 Gさん:仕事に失敗したからといって人生が終わりというわけではない。

3.永遠に〜と決まっているわけでもない。
 Gさん:永遠に仕事で失敗し続けると決まっているわけでもない。

4.〜の状況に耐えるのは苦痛だろう。それでも耐えられないわけではない。
 Gさん:周りの人の期待に応えられない状況に耐えるのは苦痛だろう。それでも耐えられないわけではない。

5.〜を失敗したからといって、私の価値が下がるわけではない。
 Gさん:仕事を失敗したからといって、私の価値が下がるわけではない。

6.〜は残念だ。でもこの世が終わるわけではない。
 Gさん:周りの人の期待に応えることができないのは残念だ。でもこの世が終わるわけではない。

7.〜されたい。しかし、〜ねばならないというわけではない。
 Gさん:期待に応えて賞賛されたい(仕事で失敗したくない)。しかし、賞賛されねばならない(失敗してはならない)というわけではない。

過度な自責を抑え、客観的な状況判断につながると思われる。自分で自分を追い込みがちな方はぜひご活用を。