「思い切り聴いてもらう」って今の世の中では贅沢なことかもしれない

なんとことを改めて思ったのが、読売新聞の下記記事。

「聴かれリッチ」な世の中にYOMIURI ONLINE:2007/06/28)

他人を傷付ける世の中の悲しい事件の多くは、自分の話が「聴かれていない寂しさ」が原因なのではないかと考えました。

と言ってるのは、【「聴く」の本】の著者の藤田さんという方。

「聴く」の本

「聴く」の本

「他人を傷付ける世の中の悲しい事件」を起こす方々は、「聴かれていない」どころか、「生きていることを認識してもらえていない」と感じているような気がするのだが、それはともかく。

 「【「聴く」の本】」では、自分の話を周囲の人に十分に聴いてもらっている人のことを「聴かれリッチ」、ほとんど聴いてもらえていない人を「聴かれプア」という藤田さんの造語が紹介されています。

「リッチ」「プア」という格差的な言葉を使っている時点であまり耳障りのいい言葉ではないが、聴いてもらうことに対する満足度が人によって大きく差があるのは確かに事実だろう。
今の世の中は「コミュニケーション不足なのでよくない」と指摘されない日はないが、そこで言われている「コミュニケーション」は「伝える」ことを主にされているような印象がある。しかし、まず出発点は「聴く」ことだと主張したい。

つまり「存分に耳を傾けて聴く」という態度は、相手を尊重する「尊重のシャワー」となり、充足感につながるのだろう。ということは、聴いてもらえないことは「拒否のシャワー」を浴びることになって、自分自身が大切にされていると感じられず、自分を大切に思えない人間は他人のことも大切に思えない。そういう連鎖なのではないかと考える。

 自らの体験から、自分自身に余裕がないと、人の話を聴くことができないと考え、まずは自分の話を誰かに聴いてもらうことを提案しています。「友達同士のおしゃべりでもいいのです。まずは自分自身が『聴かれリッチ』状態でいてほしいのです」(藤田さん)

ここで気をつけたいのは、「友達同士のおしゃべり」でも、お互い自分の言いたいことを順番に言い放つだけのものは、「聴いてもらった充足感」には遠いのではないかと。関心を持ってあいづちなどで「聴いてるよ」という態度を示すことが大事だろう。

 「聴く、聴かれることはコミュニケーションの基本です。話すよりも前に、相手に響く言葉を届ける準備として、聴くことがあるということを伝えたいです。聴くという簡単なことを実行すると、人間関係が円滑になります。まずは、自分から聴くことを始めてほしいと思います」(藤田さん)

とは言え人間はどうしても自分がしゃべりたい、というのもまた事実。なかなか自分がしゃべることを抑えられない人は、試しに「話す前に聴く」ということを意識してみるといいかもしれない。

自分が話す1分間と聴く1分間を測ってみると、その体感の差に驚くだろう。1分あいづちだけで聴き続けるって、意識しないと厳しいものだ。

ところでカウンセラーは「聴く」プロ(であるはず)。東山先生のこの本は、素人にわかりやすくプロの技の応用法を書いてあるので個人的にお薦め。

プロカウンセラーの聞く技術

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