ニート・フリーターは一時期の生き方の呼称。卑下されるいわれはない。

ソフトブレーン社長の宋文洲さんの連載コラム「傍目八目--あなたが気づかない、おかしく、そして素晴らしい日本」より。少し前の記事だが、一昨日紹介した読売の記事を読んで思い出したので掲載。

ニート、フリーター、そして女性(NB online:2006/05/11)

 ニートとフリーターは職業ではなく、人種でもなく、普通の人のある一時期の生き方に過ぎません。何も考えず「とにかく定職を持て」という人はたぶん定職だけで生きてきた人でしょう。「なぜ定職を持たなければならないか」の問いに、彼はきっとこう答えます。「俺はそうしてきたからだ」と。

 そういう人に限って「多様性だ」「変化だ」と言います。「多様性」とは、異質的なことを理解し認めることです。「変化」とは、やってきたことと違うことを学びやり遂げることです。ニートやフリーターは、社会の害虫のように扱う方は絶対に彼らのことを理解できません。明らかに自分が生きてきたスタイルを若者に求めています。

まったく、その通り。
重要なことなのでもう一度繰り返します。
ニートとフリーターは職業ではなく、人種でもなく、普通の人のある一時期の生き方に過ぎません。」
ニートやフリーターについて語る時、彼らが「社会の害悪」で、いかにして「矯正」「更生」させるかということばかりを主張している方々には、この前提からスタートし直していただきたい。

もちろん本人にとって不本意な形でこの「一時期の生き方」が長く続くことは困ったことであり、かなりの数のニートやフリーターが不況による新卒雇用の抑制という社会的要因でその「生き方」を選択せざるを得なかったのだと言われる今日、そういう本人を支援するための社会的対策はさまざまに打たれる必要があるが、それは「矯正」「更生」ではなく、あくまで「支援」であることを忘れてはいけない。

ニートやフリーターを社会の害悪扱いする一方で、変化や多様性が重要だとダブルスタンダードを平然と口にする人たちが経営している企業は、概ねこのような価値観で塗り固められている。

仕事が自分に合うかどうかは二の次、会社を辞めないことが重要。仕事をするかどうかは二の次、8時に会社に来て遅くまで残業することが重要。成果があるかどうかは二の次、サボらず努力することが重要。この種の美徳が求められる企業には、柔軟なワークスタイルと柔軟な評価制度はあり得ません。このような企業ではニート、フリーター、女性は活躍できる訳がありません。

ああ、まったく耳が痛い。こういう企業が大半である現実に溜息をつきながら、こういう現実だからこそうつ病対策記事がIT Proで盛んに掲載され読まれているわけで。
その結果のひとつがこれかもしれない。
自殺、8年連続3万人超 経済が動機7756人asahi.com:2006/06/01)

ともあれ、不当に他人を貶めて自分の正当性を確認しても、それはいつか自分にはねかえってくることを忘れてはいけない。自分とは違う、理解できないやり方で生きている人間に対して「私がこうやって生きるのと同じように、違うやり方だけどそうやってあなたは生きているのね」と認めるところからすべては始まるのてはないか。