父親を「反面教師」にする団塊ジュニア

こころの世紀 第25回ニートはワーカホリックの子 精神科医・斎藤学(MSN-Mainichi INTERACTIVE:2006/02/02)

ニートというカタカナ語が跋扈(ばっこ)している。NEETは元来イギリスで16〜18歳という狭い年齢層の若年無業者・失業者を指していた労働行政上の言葉だという。それがカタカナ語になった途端に15〜34歳の就業意欲のない人々を揶揄(やゆ)誹謗(ひぼう)する言葉になり、そこから若年失業者という意味が消えたそうだ(本田由紀、他「『ニート』っていうな!」光文社新書)。

 このカタカナ語に対する中高年オヤジたちの思い入れは大変なもので、ニート退治のために強制労働を課そうとか、14歳以前から教育してニートという化け物にしないようにしようという動きが政治家からも経済界からも生まれているという。バブル期には「日本は豊かになった、もう働きバチ社会はやめましょう」みたいなかけ声があったような記憶があるが、長期不況の洗礼を受けて、やはり「働きバチ国家」でやっていこうということなのだろうか。しかしそんなことは言われるまでもなく、大企業に勤める独身男性の働かせられかたはすでに異常なものになっている。不況に突入してから社員の数は減り、リストラの恐怖にさらされながら、ほとんどロボット扱いされている。

ニートばかりがクローズアップされているが、実はこういった過重労働も一方で深刻な問題になっているはず。

 ニートやらヒキコモリやらと呼ばれてモンスター扱いされたくなければ、この青年のようにエコノミック・アニマルの伝統を受け継ぐパソコン男になるほかないのだろうか。一見、団塊ジュニアは両極分化していて、どちらに転んでも地獄のように見えるのだが、本当はどちらも「ある点で」同じなのかも知れない。その「点」とは自分たちの父親を反面教師にしているところである。

 人の人生は油断すると親の人生の鏡像(同じに見えて左右まったく逆)になる。就労を怖がる青年たちの生き方は働きバチであった彼らの父たちの人生の鏡像だ。今、働きバチに甘んじている青年の父親が、大金を湯水のように使った奔放な人であったことと同じだ。

つまり労働に関する極端な行動は親との「負の連鎖」にも要因があるのではないか、ということか。加えて過酷な雇用状況が彼らを追い詰め、社会的に解決できないまま「大人ニート」なんて不本意な呼ばれ方をしている。
すべてを家庭の問題に帰するつもりはないが、自分にとって何が幸せな働き方なのか、自分の言葉で若い人達に伝えられる大人が増えることはとても大事だと思う。