「内田樹の研究室」さんのエントリ「階層化=大衆社会の到来」

いわゆる「希望格差社会」的考察の続きだろうか。
原典となっている苅谷 剛彦著の「階層化日本と教育危機」を読んでいないため、このエントリだけでニュアンスをどこまで読み取れているか自信はないが、内田氏の『どうして、「学びから降りる」ことが自己満足や自己肯定に結びつくのか、その理路はわかりにくい。』という言葉そのものが、インセンティブ・デバイドの当事者達とそうでない者達の違いを際立たせていると感じた。
彼らはそうすること“でしか”自己肯定を持てないのではないか。

「相対的に出身階層の低い生徒たちにとってのみ、『将来のことを考えるより今を楽しみたい』と思うほど、『自分は人よりすぐれたところがある』という〈自信〉が強まるのである。同様に、(…)社会階層の下位グループの場合にのみ、『あくせく勉強してよい学校やよい会社に入っても将来の生活にたいした違いはない』と思う生徒(成功物語・否定)ほど、『自分は人よりすぐれたところがある』と思うようになることがわかる。」(198頁)
つまり、「現在の享楽を志向し、学校を通した成功物語を否定する-すなわち業績主義的価値観から離脱することが社会階層の相対的に低い生徒たちにとっては〈自信〉を高めることにつながるのである。」(199頁)

という部分も、「彼らにとってはそれしか選択肢がない」ということではないのか。

エントリを読んでいて、原典の意味する「階層」が何なのかわからないと、論評は無理だと判断。ここへの考察はそれまで保留とする。