ネタほしさがための「報道の自由」?

労務屋さんの「安心して機密漏洩できますね」にまったく同感。

逃げたりする心配がないのに逮捕したのがけしからんというのではなく、メディアに機密漏洩しても逮捕まではされないよ、ということにしてくれないと安心して機密漏洩してもらえなくなっちゃうから困ります、ということですなこれは。なにが「許される一線」なんでしょうかねぇ。これでは自分の商売に役立つんだから、おっと失礼、真実の報道という崇高なる目的のためであれば法律違反もなんのその、 という態度だと思われても仕方ありません。こんな新聞にコンプライアンスがヘチマとか経営倫理がすべったころんだとか言われたくないですよねぇ。

この一件に関する新聞の一様な「取材の自由・報道の自由の侵害」キャンペーンに辟易していたので、労務屋さんの「こんな新聞にコンプライアンスがヘチマとか経営倫理がすべったころんだとか言われたくない」を読んで「ああ私だけじゃないんだ」とほっとした次第。

そもそもこの本が出版された時点で「これって職業倫理に完全に違反するんじゃないの」と激しく違和感があった。どういう名目であれ、「他には出さない」という条件で聞いた話をそのまま出すというのは、話してくれた相手に激しく害をなす行為であり、対人援助を生業とする人間としてはとうてい容認できないと思っていたら、あれよあれよと逮捕まで。

正直、労務屋さんのエントリにもあるように「逃げたりする心配がないのに逮捕した」部分については強権発動すぎるのでは、という気もしなくもないし、本当に刑法の範疇なのかも厳密に言えば微妙なのかもしれないが、少なくともマスコミのかみつきっぷりはどう考えても異様。特殊指定から外されそうになった時の「自分たちの論理だけで語ってる」のが再現されてる気がした。

この草薙厚子さんという方は後藤さんのエントリ「子育て言説は「脅迫」であるべきなのか 〜草薙厚子『子どもが壊れる家』が壊しているもの〜」によると以前からその発言のにおいて疑念を呈されている方のようで、そういう意味でこの書籍はどういうものなのか、よく考えた方がいいのではないかと思うのである。

10/18追記:

この本が発売された時に、知人との間で話題になったことがあった。私の意見は下記の通りだった。

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個人のプライバシーを扱う仕事をしている人達は、守秘義務のもとに面談をし、資料をまとめています。どういうルートで入手したかはわかりませんが、公開されないことを前提に実施された調査結果を本人(未成年の場合は原則保護者)の承諾なしに公開するというのは、本人の尊厳と調査官の職業倫理を踏みにじる行為だと思います。

(「著者の意図は相次ぐ少年犯罪の原因などの分析が公表されないために社会でそのことが共有されない、だからこの本を書いたということ」という指摘に対し)

分析の公表と調書の公表は別次元のことだと思います。

苦しい思いをして生きる子どもや親が少しでも減ってほしいとはもちろん私も思いますが、取る方法が間違ってるのではないかと。いくら理由をつけても「暴露ジャーナリズム」の変形としか思えません。

もしこの少年が私のクライアントだったとして、私との面談記録が知らないところで無断で書籍として公開されたら、と思うととても許せない。そういうことです。

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この時点ではまさか聞いた本人が漏洩したなんて思ってなかったのだが、そうなると罪はますます重い。