「女性活用推進」の落とし穴

ここ最近「ダイバーシティ」特に「女性活用推進」についての各社の取り組みについてのレポートやインタビューを見るたびに、もやもやと感じていたものの正体が見えた気がする記事があった。

ヒューマンキャピタルForum第三回研究会開催──これからのダイバーシティを考える── (ヒューマンキャピタルOnline:2007/03/06)

研究会の最後に花田教授から次のような問題提起があった。

女性の活用を進めている企業の典型的なやり方は、女性活用推進チームを作り、制度の整備や数値目標の設定などを進めるというものである。チームには、30 代前半の優秀なエリート女性社員が配置されている。このやり方は、女性活用のための必要条件としては正しいし、当然のことであるが、これで十分かというと不安を感じる。不足しているのは、エリートではない女性に対する視点が欠落していることだ。一言で言えば「やさしくない」のである。3〜5年後にツケが顕在化するのではないか心配だ。

そう、そうなのだ。
「女性管理職の割合を増やす」ということが必要でないとは言わないが、今の論調全体に感じるのは極論すれば「会社の仕事に全身全霊をかける男性社員のような女性社員をもっと増やしたい」ということなのだ。
でも仕事に対して「そこそこ」と思っている女性社員の場合、この取り組みの対象からははずれてしまう。そういう人は会社では価値がないと暗に言われ、エリート女性ならばもらえる「思いやり」をかけてもらえなくなる。そしたらどうしたらいいのか。

成果主義の失敗と共通点があるように感じている。成果主義の場合、生き残りをかけて導入せざるを得なかった企業が多かった。しかし、何年か運用していくうちに、仕組み自体の修正を迫られている企業が増えている。原因のひとつは優秀な社員だけに目を向けて作った制度だったためだ。

典型的な女性活用推進チームがやっていることは、成果主義を女性活用の制度に組み込もうとしているように見える。そこからは、エリートではない女性社員が目指すべき姿が見えないし、一人ひとりに対する心のこもった対応にはなっていない。

このまま進めていくと、数としては圧倒的に多いエリートではない普通の女性社員がどこかの段階で制度に対してブーイングを出す危険があるのではないか。

表面化するのはまずは女性からだとは思うし、「女の戦い」的な不毛な論争になる恐れも充分あるが、実はこれは女性社員だけの問題ではない。男性社員だって「全身全霊をかけるふり」をしながら「そこそこ」でいたい人達だっているはず。もしくはライフステージの事情(育児、介護等)でそうならざるを得ない人達だったいる。そういった人達の心の落としどころは、「残業・出張ができない人はまともな頭数に入らない」と言われる会社環境をそのままにしての「ダイバーシティ推進」ではつけられない。

ダイバーシティは本来は多様な価値観やバックグラウンド(性別、人種、国籍、勤務形態)を持った人間が集まって各々の価値を認めながら働いていくことではないかと理解している。この「各々の価値を認めながら」というのがおそらく難しいところなのだろう。

花田教授が提言されたこの視点は忘れてはいけないと思う。