「女は上方婚・男は下方婚志望」に感じるどうしようもない違和感

元ネタはPRESIDENT 2006.3.20号の記事「学歴の結婚力 女のホンネと男の勘違い」と、その中の付属対談「『上方婚』は本当に幸せの扉を開くのか」(山田昌弘教授×蝶々さん)。


以下女性の声一部抜粋。(#以下は私のつっこみ。)


「外見が格好よくても、学歴が低いと『所詮バカじゃん』と思うよ」(文化女子短大卒・28歳既婚)

#そういう口の聞き方をするあなたこそ『所詮バカじゃん』。


「バイト先に専修大学卒の男性がいると母親に言ったら、その人とつきあっているわけでもないのに『あなたはもっといい大学を出ている男と結婚しなさいね』と言われました。明治大学ぐらいならたぶん許してくれると思いますけど」(白百合女子大・22歳未婚)

#すいません、うちの夫専修大学卒なんですが。彼とその仲間たちにはとても読ませられない・・・(涙)。


「自分より学歴や収入が低い男は論外です。ただし、年収が高くてもファストフードやパチンコ店の店員はイヤ。友達に紹介できないし、子供がかわいそうですから」(昭和女子大卒・23歳未婚)

#評価基準は「他人の目」ですか。


「職場の男性を見ても学歴が高い人の方が将来性がある感じがするし、学歴が低い人は『何をやっても長続きしない人』という印象がありますね」(青山女子短大卒・24歳)

#何をもって「将来性がある」なんて言ってるのやら。属性で他人を一般化しすぎると、今に痛い目に合うよ。


「私が慶應出身とわかると『おお!頭いいんだぁ』という反応をする男が多いので嫌になります。結婚後も男性のコンプレックスを傷つけないように気を使うならば、同レベルかそれ以上の学校を出ている人といるほうが気楽でいいですよね」(慶應卒・24歳)

#その気持ちわかるような気が。私は地方国立大学出身(年配の方には「旧一期校」というブランド価値もあった模様)だけど、田舎だと女性で4大卒というだけで「すごいね」と半分白い目で見られるし、学歴だけで言えば自分より早く社会に出ている人の方が圧倒的に多いのでやりづらいことこの上なく。特に男性の「4大卒の女なんか嫁にするもんじゃない」的発言は激しく傷ついた記憶あり。
こちらは学歴にこだわりはなかったけど、夫に学歴のことでコンプレックス持たれるくらいなら、せめて大卒同志と言えるようにしよう、と思わざるを得なかったもの。


男性の声一部抜粋。

「女性の方が高学歴だった場合、僕とその女性は平気でも、彼女の両親が嫌がるんじゃないですかね。『ウチの娘には釣り合わない』って言われたくないです」(東洋大卒・32歳未婚)
#・・・(涙)。そうなんだよねぇ、親なんだよねぇ、とてつもない障害は。


「サークルの女性を好きになったのですが、告白する前に『男にはせめて青学くらいには行っていてほしい』と言われて、ショックで唖然としてしまいました」(桜美林大学卒・27歳)

#早いうちにそういう女だとわかってよかったじゃないか。一事が万事。あとで大きな傷になるよりよっぽどいい。でもあんまり。


この記事のまとめとしては「学歴なんかどうでもいいや!と開き直ってしまえばいい。そして目の前にある仕事に真剣に取り組んでいれば、自然と『いい顔』になっていくのである」となっている。まったくその通りだと思う。思うのだが。


一方、山田教授×蝶々さんの対談からも。

山田教授
「男性にとっては、バカでも性格悪くても、かわいい女性っていうのは価値があるんです」(「研究結果をお話ししてるわけで、プライベートで思っているわけではないので(笑)」と言い訳つき)

#まったく身も蓋もないホンネ。つっこみようもなし。


「しかし日本はまだ男性は下方婚、女性は上方婚というのが根強くて、昔のよかったことは、ほとんどの男は安定した職業についていたから、誰かが好きになってくれたということですね」

#そういう意味ではたまたまラッキーで結婚できた今の両親世代は、独身男女にはデカイ顔はできないだろう。


蝶々さん
「一芸に秀でている人は、妙なコンプレックスは持たないんですね。男の人って一回学歴コンプレックスから抜けれればいいのにねぇ。いい年して『あの試験のときに下痢じゃなければ・・・』って言ってる人は一生下痢だと思いません?」

#「一生下痢」に大受け。


やはり諸悪の根源は山田教授の言うこのあたりのことかも。

学歴とは結局「将来の収入期待」なんです。日本は特殊で、男女とも7〜8割の人が「結婚したら夫の収入で生活を支えるもの」という意識なんです。欧米では離婚も多いし、女性の自立志向が強いのでそういう意識の人は1割しかいない。だから欧米では収入と関係なく魅力で相手を選ぶ社会ができるんです。その点、日本では女性の意識が変わっていないと私は見ています。

結局、記事に掲載されている様々な発言を見ていると、自分だけは楽してそこそこ幸せになろう、というあまりにすこやかなエゴが丸出しになっているように感じるのだ。そこに大きな違和感を感じる。生活って一人で背負いこむものではないだろうに。


他人の収入に依存して生活することがいかにリスキーなことか、ぜひ考えてほしい。何もかも自分一人で生活できるほど稼がなくても、二人合わせて一緒に生活できる金額であればいいじゃないか。
もちろんそのためには「家事」も相応負担、という必要があり、ともするとニワトリと卵の議論になってしまいがちだが、まずはやってみることだろう。


いわゆる「いい学校」に行ったことがその人のいろんな力のもとになっているかもしれないし、そのことを否定するつもりももちろんないが、学歴「だけ」で白黒判断しようとするのはどうかと思う。人間はそんなに単純なものではないだろうに。


編集部が「元気のない低学歴男と誰も結婚したがらなくて、もっと元気がなくなる。負の連鎖をどうすればいいでしょうか?」というこれまた超ストレートな質問を投げているが、「男のオーラは内側からしか出ないからトータルで変わらないと」(蝶々さん)「女性に褒めてもらうことが心理的安定にとって重要なんです」(山田教授)。いや、その褒めてもらう女性がいない場合はどうすれば。


自分の価値のよりどころを「学歴」ではないものにする。そして「学歴」のみで判断しない相手を見つける。遠回りのようだが、それしかないような気がする。


ちなみに我が家は前述した通り国立大卒の妻と中堅私立大学卒の夫の組み合わせ。勤務先の規模の違いで妻の方が夫より収入が高く(約1.4倍)、住宅ローンの名義も世帯主も妻の名前。でも、そんなの関係なく楽しく暮らしている。親の干渉がないなどラッキーな部分はあるし、価値観の違いと言ってしまえばそれまでだが、そういうところだって確かにあるのだ。